前回、既製品とオーダーメイドの間がテリトリーだ!なんてことを言ってしまいましたが、それは一体なんぞや?
少し遡って(脱線して)自分がこの仕事をする事になるまでを書かせて頂きたいと思います。
二十歳前後ファッション系専門学校在籍時からスーツを作る仕事がしたいと思ってました、その頃の世間ではまだまだバブル時代の名残の様な、ソフトスーツを着たサラリーマンが世の中多勢でした。(今は本当にお洒落なビジネスマンが多いと思います)
「もうちょっとかっこよくならんもんか」
若かりし頃の僕はそう思ってました、それにスーツは男の服の中でピラミッドの頂点に位置するものだと考えてました、その技法も、歴史的にも。
どうせやるならその世界に進みたい、もうちょっと世の中のおっさんをかっこ良くしたい、漠然とそんな想いをいだいてました。
ところがその頃は国内の繊維産業は元気が無く、どんどんと人件費の安い中国生産に移って行く頃だったと思います(今から20年近く前でしょうか)今と違って情報も、進む先も、なかなか得られない頃でした。
ちなみにその頃衝撃を受けたのが「オズワルド・ボーテング」ブリティッシュテーラリングをベースにタイトなシルエット、ビビッドな裏地使い、かっこ良かったです、今は明るい色を裏地に使う事は珍しくはないですが、彼が先駆けだったのではないでしょうか。。
自分なりに教則本や情報を手に入れて(今と違って足を使って)試行錯誤しながら自宅で洋服を作ったり、オーダースーツ屋でバイトしたりしていた頃ひょんなきっかけで入社したのが南大阪にある国内有数のスーツファクトリーでした。
ちょうどその頃はクラシコイタリアがブームとして出始めた頃で、その手仕事感、職人的な仕事に憧れた若い人達が集まってきていました(当時一緒に仕事をしていた子達が数名いまや国内にとどまらず世界にでて仕事をする優れたアルチザンになっています、本当に素晴らしい事だと思います)そこで初めて量産服の流れなり仕事に携わり、平行して時々自分で服を作ったりしていました。
その頃は直しなんて数ミリも頭にありません、そりゃそうです、いかに製品として満点に近いものを作るかに腐心していたわけですから。
集中して考えて工夫して縫ったものをほどくなんて、嫌でした。
とはいえ例えばシーズン新作の試作などは何度も何度も作り直すことがあったので、ほどくことはありました、でも「ほどくのは苦手、ほどかなくて済むものを一発で作ればいい」と思ってました。
今の仕事は服をほどく所から始まります、容赦なくほどきます。
よくある理由で転職を考えたとき、既製品では物足りない気もしていて、とは言え今更修行という年齢でもなく、それでもチャレンジしてみたいとりあえずやってみるかと友人知人のスーツを材料費だけで作るということをしました、とうぜんそれだけでは食べて行けないので何か洋服づくりに関係したバイトでも、と思い浮かんだのがこれまた大阪のリフォーム屋さんでした。
なぜ思い浮かんだのかというと、工場で働いていた時みんながお手本にしていた「手穴(手縫いによる穴かがり)」がその某リフォームの仕事だったわけです。(このエピソードについてはもう少しじっくりとまたの機会に)
そんなわけで全くその気もないのにその仕事をすることになりました。
今思えばものすごくなめていたわけです、「こっちは日々数十着の生産をしていた」という自負のようなものがあり、直すではなく作ることをしたかったのですから。
長くなったので2回にわけます。
下の画像は破れた裏地を作り替える作業の写真です。